見返りを求める
さて 昨日(かな?)の信濃毎日新聞の朝刊にこんな記事がありました。
「ありがとう、と言われたい」~繊細すぎる感性は心配~
内容は最近経験したことを交えて、「人から感謝されたい」「(何かしたから)感謝して
欲しい」と思う人(記事では若者でしたが・・)が多くなっており心配だ・・というような記事でした。
記事の中で電車の席を占有していた若者に席をつめるよう手で振り払うような仕草をした男性に対して
渋々席を詰めたあとに「なぜ詰めたのに礼を言わないのか?」と詰め寄る若者のことや
コンビニのレジで店員さんが何か言われても何も返事しない人へ不愉快な思いをしていることなど書かれていました。
著者が学生に書かせる文章でも「ありがとう」の大切さやボランティアで感謝されたことへの感激などが書かれた文章も
多くあり、そのほぼ全ての文章の末尾に「人から親切にしてもらったらありがとうをいうことが大切だ」とゆう文章だそうです。
そんな感性に著者は思います。。。
「自分のやった行為に対する繊細すぎる感性が心配である」と・・
※「すぎる」はあえて強調しています。
この文章を読んで「なるほどな~」と感じました。
「俺はこんなにやったんだから(お礼を)言われるのが当たり前だ」とか
「少しは感謝くらいしてもいいだろう」とか・・・
自分にも思い当たるふしはあるよな~(..;)""""> ポリポリ ヾ(_ _。)反省
・(相手にしている)その行為って何のためにしているの?
・それで自分に得られるものはなない?
この文章を読んでそんな気持ちを自分に問いかけてみたいと思います。
そうそう。。以前見た映画に「ペイフォワード」という映画がありました。
この映画は感謝を別の形にして「次へ贈る」・・・そんな映画でした。
自分にしてもらった嬉しいことを、その人に返すのではなく、別の人3人にしてあげる。それを繰り返すことで
ねずみ算式に心が拡がる・・・。
また若い頃のツーリングの旅先で地元の人とかに親切にしてもらってお礼をしようとしたら
こんな言葉が返ってきたことも思い出しました。
「今度君が同じように旅先で困った人に出会ったら同じようにしてあげてくれればいいよ」
返すのではなく次へ贈る・・・。
結局それは廻り廻って自分に戻るような気がします。。。。
現在 ちょっと働き口探していますが、なかなかないですね~。
もう少しじっくり自分に問いかけないといけないや。
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