気が付けば1週間・・・ほんと早いもんです^^;みなさんはどんな風にお過ごしでしたか?
さて以前blogで「
頑張って という言葉」という記事をアップしました。
で、最近購読している新聞(朝日新聞)にこんな投書が掲載されていました。
投書の方は30代の主婦の方。日々出勤する旦那さんに対して
「行ってらっしゃい」のあとに「頑張ってね」という言葉を添えて送り出していたそうです。
ところがあるとき「頑張って」という言葉をテーマにしたテレビを見ていたとき、旦那さんが
「頑張ってと言われるのは嫌だな・・・」そんな言葉を耳にして以来「頑張って」が言えなくなってしまった。。。
そんな主旨の内容でした。
投書の主婦の方はこうも書いています。
「私自身は言われるとうれしいし、励まされる。だから夫にも背中を押すつもり
ではなく、寄り添いたい思いで言っていたのだが・・・」
これを読んで「同じ言葉でも人によって様々に受け止める」という当たり前の事を改めて感じ、また、言葉の重みを考えさせられました。
「頑張って」という言葉一つでもある人にはとっては励ましに聞こえ、ある人にとっては責められる様に感じてしまう・・・。
たまたま今回のように旦那さんが本音を言葉として出せたから大事には至らなかったけど、これが知らないままにずっと言い続けられていたらどうなっていたか? それを考えるとちょっと空恐ろしくなります。
別にこの主婦の方を責めているのではなく、こんなケースは形を変えて様々な場所で繰り返されていると思います。嫁・姑、親・子、先生・生徒、身内・兄弟、etcet・・・・・
そして後半にはこんな文章が書かれていました。
(誤解の無いように記事から引用させてもらいます。)
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「頑張ってね」と言えないと、何か言葉が足りないようで落ち着かない。
「祈っているね」と言ってみたが、毎日使って手あかのついた言葉にはしたくない。
「無理しないでね」も、毎日は使えない。
どうしても「頑張ってね」がのど元まで出てくるのを胸に押し戻している。
せっかくの励ましが負担になってはいけないと、一人悩む朝が続いている。
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この方の励ましは誰のために言っているのかな~??と感じました。
この「頑張って」という言葉は旦那さんを励ますため?それともその言葉を話す自分を
励ますため?そんな風に聞いてみたいです。
多分 その問いを考えてみれば、自ずと答えは見えてくるように感じます
もし、それでも分からなければ・・・その時は直接本人に聞いてみたらいいのでは?と感じました。