2015年03月12日

4回目の3.11

 今年も3.11を迎えました。

今日は朝からTVや新聞で「あの日」のことを特集しています。

昨年、自分も参加していた「長野市災害ボランティア委員会」の支援活動をまとめた報告書の完成を以て委員会も解散しました。

現在は「鮭Tプロジェクト」「長野元気プロジェクト」「はんどめいどプロジェクトi」の各プロジェクトが支援活動を継続しています。
これからも、これら支援活動へご支援、ご協力を引き続きお願いしたいと思います。

さて、1年ぶりのブログ更新ですが、今回は初めて現地の大槌町を訪れた時の写真やその後の様子などを振り返りながら
「何故、(自分は)支援活動を続けてきたのか?」を自分に問いかけてみたいと思います。




  4年前の3.11 午後2時46分

毎年、この時期になると初めて現地に入った時の情景が甦ります。

1階が完全に潰れた上にかろうじて2階だけ残した家
4回目の3.11

フェンスにのしかかるように垂直に立ったままの車
4回目の3.11


橋脚だけ残してレールが無くなった線路
4回目の3.11

橋の欄干にひっかかった人々の生きた証たち
4回目の3.11


 この震災ではボランティアとして活動する中で多くの人達との関わりがありました。
岩手県大槌町の方達は勿論、長野に避難してきた方や現地を支援したいという人達。。。

 その中で印象に残っているのは、2011年の12月に大槌町であった鮭帰願祭というお祭りに参加するため、3回目の訪問した時に聞いた現地の男性からの言葉です。

その晩、現地の方達が歓迎会を開いてくれたのですが一人の男性から
「本当にありがとう。みなさんにこれまで支援してもらったことに心から感謝します。。。」そんな言葉の後は男泣きとなり言葉が続きませでした。

 その言葉を聞きながら「やっとそんな言葉を出せるくらいの気持ちになれたんだ」そう思うと自分も泣いていました。

 自分自身、父親を小学校の時に突然自殺で亡くしました。その事やその時に感じた気持ち、周りの人へ感謝の気持ちを話すには長い時間と大きな勇気がいりました。

 肉親を失った悲しみや苦しみ、そして何も出来なかった自分への自責の念と自分達を残して逝ってしまった人への怒りに似た感情。
そんな色々な自分の感情は長い時しか癒やすことは出来ません。
 ましてや「肉親」だけでなく自分の生まれ育った「故郷」や「家」なども失ったならなおさらです。

 大槌町もかさ上げ工事が始まり、初めて入った時から街は少しずつ変化しています。
でも、人の心は街の復興と同じようには簡単に変わってはいけません。

 10年、20年、30年。。。突然肉親を亡くした人達の「心」が前を向いていけるにはもっと長い時間がかかることだけは確かだと4年たった今も思っています。

 そんな自分が震災支援の活動を続けてこれたのは、父親を突然失った現実を受け入れられなかった当時の自分と、震災で大切な人を亡くした現地の人達が重なって見えていたからかもしれません。

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