2011年03月06日
「夜と霧」そしてコーチング
さて今日、紹介する本は古くから読み継がれている作品である「夜と霧」という本です。
みなさんはこの本 読んだことはありますか?
心理学者であるカール・ロジャースなどからちょっと辿っていたらこの作品に出会いました。
この本の中では、強制収容所で体験した出来事など綴った前半と、そこから導きだされる心理学者としての人の心の考察が後半に書かれています。
【本より引用】
・精神の自由
被収容者は、行動的な生からも安逸な生からもとっくに締め出されていた。しかし行動的に生きることや安逸に生きることだけに意味があるのではない。そうではない。およそ生きることそのものに意味があるとすれば、苦しむこと にも意味があるはずだ。苦しむこともまた生きることの一部なら、運命も死ぬことの生きることの一部なのだろう。苦悩と、そして死があってこそ、人間という存在ははじめて完全なものになるのだ。
「苦しみ」や「死」があるからこそ、人間として それも 精神が自由な人間として生きている証である・・そんな風に思える一節です。
・「運命-賜物」
ひとりの人間が避けられない運命と、それが引き起こすあらゆる苦しみを甘受する流儀には、きわめてきびしい状況でも、 また人生最後の瞬間においても、生を意味深いものにする可能性が豊かに開かれている。(中略)あの収容所の心理を地でいく群れの一匹になりはてたか、苦渋にみちた状況ときびしい運命がもたらした、おのれの真価を発揮する機会を生かしたか、あるいは生かさなかったか。そして「苦悩に値」したか、しなかったか。
このような問いかけを、人生の実相からほど遠いとか、浮世離れしているとか考えないでほしい。(中略)人間の内面は外的な運命より強靱なのだということを証明してあまりある。
それはなにも強制収容所にかぎらない。人間はどこにいても運命と対峙させられ、ただもう苦しいという状況から精神的になにかをなしとげるかどうか、という決断に迫られるのだ。
強制収容所という(特殊な)環境だけでなく、いつでも、どこでもそんな選択や決断を常にしている・・・。何気ない決断や選択によって大きくその後の人生が変わった。。そんなことって多々ありますよね。。。
・目的を見失った人
人は未来を見すえてはじめて、いうなれば永遠の相の元ににのみ存在しうる。これは人間ならではのことだ。したがって存在が困難を極める現在にあって、人は何度となく未来を見すえることに逃げ込んだ。(中略)しかし未来を、自分の未来をもはや信じることができなかった者は、収容所で破綻した。そういう人は未来とともに精神的なよりどころを失い、精神的に自分を見捨て、身体的にも精神的にも破綻していったのだ。
コーチングでは未来がどうありたいか?という目で見ていきます。
自分の未来が見えない そんな時 人は誰かに助けを求めて、誰かに話を聞いて欲しい そう感じると自分の経験からも分かります。
薔薇色の未来・・・そこまでは求める必要はないと思いますが、日常の、ほんとうに小さな出来事や幸せを感じる出来事が人の命を繋げていくのだろうと思います。
ニーチェの言葉
「なぜ生きるかを知っている者は、どのように生きることにも耐える」
そして何より惹かれたのはこの文章でした。
・生きる意味を問う
わたしたちが生きることからなにを期待するのではなく、むしろひたすら、生きることがわたしたちからなにを期待しているかが問題なのだ、ということを学び、絶望している人間に伝えねばならない。哲学用語を使えば、コペルニクス的転回が必要なのであり、もういいかげん、生きることの意味を問うのはやめ、わたしたち自身が問いの前に立っていることを思い知るべきなのだ。生きることは日々、そして時々刻々、問いかけてくる。わたしたちはその問いに答えを迫られている。考えこんだり、言辞を弄することによってではなく、ひとえに行動によって、適切な態度によって、正しい答えは出される。
・自分がどんな風に生きればよいか?そんな問いをしてその答えに従って行動すること。
・行動することでしか、人生は変わらない
上記2つは正にコーチングの考え方です。
だれもその人から苦しみを取り除くことはできない。だれもその人の身代わりになって苦しみをとことん苦しむことはできない。この運命を引き当てたその人自身がこの苦しみを引きうけることに、ふたつとないなにかをなしとげるたった一度の可能性はあるのだ。
答えはクライアントの中にある・・・そうコーチングでは学びます。
コーチは寄り添い励ましたり、提案をしたりすることは出来ますが、そのクライアントの人生全てを背負いそのクライアントの代わりに生きていくことは出来ません。
その苦しみはその人が大きく成長するために訪れた「機会」なのだと受け止め、そこからでしか得ることが出来ないものを感じ、その人が「したい」と思っていることを成し遂げるためのエネルギーに変えていく。。それが未来を大きく変えていく方法・・・・そんな風に読み解くことが出来ました。
この本に書かれた内容は自分に向かって多くの「問い」を投げかけてくれた本でした。
この本の作者 V・E・フランクル ・・・彼が書いた他の本ももっと読んでみたい・・そう感じました。
みなさんはこの本 読んだことはありますか?
心理学者であるカール・ロジャースなどからちょっと辿っていたらこの作品に出会いました。
この本の中では、強制収容所で体験した出来事など綴った前半と、そこから導きだされる心理学者としての人の心の考察が後半に書かれています。
【本より引用】
・精神の自由
被収容者は、行動的な生からも安逸な生からもとっくに締め出されていた。しかし行動的に生きることや安逸に生きることだけに意味があるのではない。そうではない。およそ生きることそのものに意味があるとすれば、苦しむこと にも意味があるはずだ。苦しむこともまた生きることの一部なら、運命も死ぬことの生きることの一部なのだろう。苦悩と、そして死があってこそ、人間という存在ははじめて完全なものになるのだ。
「苦しみ」や「死」があるからこそ、人間として それも 精神が自由な人間として生きている証である・・そんな風に思える一節です。
・「運命-賜物」
ひとりの人間が避けられない運命と、それが引き起こすあらゆる苦しみを甘受する流儀には、きわめてきびしい状況でも、 また人生最後の瞬間においても、生を意味深いものにする可能性が豊かに開かれている。(中略)あの収容所の心理を地でいく群れの一匹になりはてたか、苦渋にみちた状況ときびしい運命がもたらした、おのれの真価を発揮する機会を生かしたか、あるいは生かさなかったか。そして「苦悩に値」したか、しなかったか。
このような問いかけを、人生の実相からほど遠いとか、浮世離れしているとか考えないでほしい。(中略)人間の内面は外的な運命より強靱なのだということを証明してあまりある。
それはなにも強制収容所にかぎらない。人間はどこにいても運命と対峙させられ、ただもう苦しいという状況から精神的になにかをなしとげるかどうか、という決断に迫られるのだ。
強制収容所という(特殊な)環境だけでなく、いつでも、どこでもそんな選択や決断を常にしている・・・。何気ない決断や選択によって大きくその後の人生が変わった。。そんなことって多々ありますよね。。。
・目的を見失った人
人は未来を見すえてはじめて、いうなれば永遠の相の元ににのみ存在しうる。これは人間ならではのことだ。したがって存在が困難を極める現在にあって、人は何度となく未来を見すえることに逃げ込んだ。(中略)しかし未来を、自分の未来をもはや信じることができなかった者は、収容所で破綻した。そういう人は未来とともに精神的なよりどころを失い、精神的に自分を見捨て、身体的にも精神的にも破綻していったのだ。
コーチングでは未来がどうありたいか?という目で見ていきます。
自分の未来が見えない そんな時 人は誰かに助けを求めて、誰かに話を聞いて欲しい そう感じると自分の経験からも分かります。
薔薇色の未来・・・そこまでは求める必要はないと思いますが、日常の、ほんとうに小さな出来事や幸せを感じる出来事が人の命を繋げていくのだろうと思います。
ニーチェの言葉
「なぜ生きるかを知っている者は、どのように生きることにも耐える」
そして何より惹かれたのはこの文章でした。
・生きる意味を問う
わたしたちが生きることからなにを期待するのではなく、むしろひたすら、生きることがわたしたちからなにを期待しているかが問題なのだ、ということを学び、絶望している人間に伝えねばならない。哲学用語を使えば、コペルニクス的転回が必要なのであり、もういいかげん、生きることの意味を問うのはやめ、わたしたち自身が問いの前に立っていることを思い知るべきなのだ。生きることは日々、そして時々刻々、問いかけてくる。わたしたちはその問いに答えを迫られている。考えこんだり、言辞を弄することによってではなく、ひとえに行動によって、適切な態度によって、正しい答えは出される。
・自分がどんな風に生きればよいか?そんな問いをしてその答えに従って行動すること。
・行動することでしか、人生は変わらない
上記2つは正にコーチングの考え方です。
だれもその人から苦しみを取り除くことはできない。だれもその人の身代わりになって苦しみをとことん苦しむことはできない。この運命を引き当てたその人自身がこの苦しみを引きうけることに、ふたつとないなにかをなしとげるたった一度の可能性はあるのだ。
答えはクライアントの中にある・・・そうコーチングでは学びます。
コーチは寄り添い励ましたり、提案をしたりすることは出来ますが、そのクライアントの人生全てを背負いそのクライアントの代わりに生きていくことは出来ません。
その苦しみはその人が大きく成長するために訪れた「機会」なのだと受け止め、そこからでしか得ることが出来ないものを感じ、その人が「したい」と思っていることを成し遂げるためのエネルギーに変えていく。。それが未来を大きく変えていく方法・・・・そんな風に読み解くことが出来ました。
この本に書かれた内容は自分に向かって多くの「問い」を投げかけてくれた本でした。
この本の作者 V・E・フランクル ・・・彼が書いた他の本ももっと読んでみたい・・そう感じました。
Posted by GP at 19:15│Comments(3)
│BOOK
この記事へのコメント
すごく興味深い内容ですね。
ポテ試験の課題図書で、加藤諦三の本とあり、「苦しくても意味のある人生」を選び熟読(?)しました。その中に、フランクルの引用いくつもあり、とても考えさせられた思い出があります。これ、難しそうだけど読んでみたい!
ポテ試験の課題図書で、加藤諦三の本とあり、「苦しくても意味のある人生」を選び熟読(?)しました。その中に、フランクルの引用いくつもあり、とても考えさせられた思い出があります。これ、難しそうだけど読んでみたい!
Posted by ゆーみん at 2011年03月07日 20:46
ゆーみんへ
加藤諦三さんか~~ 高専生の頃(多分10代だったかな)読んだけど当時の自分には「何か説教くせ~(^^ゞ」そんな印象を持ってあんまり読みたいとは思わなかった印象があります。
多分今は違うでしょうね。。。(丸くなったんだね。きっと・・・)
この本 全然難しくないですよ。きっとゆーみんのような人なら俺よりずっと多くのことを感じることが出来ると思ってます^^
加藤諦三さんか~~ 高専生の頃(多分10代だったかな)読んだけど当時の自分には「何か説教くせ~(^^ゞ」そんな印象を持ってあんまり読みたいとは思わなかった印象があります。
多分今は違うでしょうね。。。(丸くなったんだね。きっと・・・)
この本 全然難しくないですよ。きっとゆーみんのような人なら俺よりずっと多くのことを感じることが出来ると思ってます^^
Posted by GP at 2011年03月07日 23:26
フロムもいいですよ!
自由へのとうそう
愛するということ
お薦めです。
自由へのとうそう
愛するということ
お薦めです。
Posted by みちえさん at 2014年03月13日 00:25