2010年09月17日
祖父たちの零戦
さて最近読んだ本を・・・
祖父たちの零戦
です。
これは戦時中 世界に名を馳せた「零戦~零式艦上戦闘機」に乗って戦った進藤三郎氏と鈴木實氏の両名を中心にした多くの戦闘機乗りの方々のドキュメントです。
子供の頃 撃墜王と呼ばれた坂井三郎氏の本を読んで、「カッコイイ」そう感じていた時もありました。
やはり子供だったので戦争の悲惨さより、戦闘機というメカニカルなもの、そしてそれを操縦するパイロットに
憧れがありました。
あとウオーターラインシリーズで戦艦や空母なんかもよく作ってました。
でも年齢を重ね戦争の実態を知るにつけ、憧れ だけでは済まされない部分を見るようになり興味が薄れてきました。がそんな気持ちとは逆に興味をもってきたのは「個人」としてあの戦争に関わった多くの人達の気持ちでした。
そんな中で今回 この本を読んだ訳ですが・・・
ドキュメンタリーですから、涙を抑えられないような物語(ちょっと前に読んだ「永遠の0」のような)とは違いますが
現実に起きていた出来事として、重く受け止めることが多くありました。
開戦当初の圧倒的強さから、徐々に敵に研究され櫛の歯が欠けるようにどんどん戦友達が亡くなっていく・・・
朝一緒に食事したのに、夕食の時にはもういない・・・。
戦争終盤にはアメリカ軍の逆襲のため撤退に次ぐ撤退をしていくなかで、負け犬のようにただ逃げるしかない状況の中から生み出された「新風特別攻撃隊」いわゆる 特攻 ですね・・・・。
以前は「負けると分かっていながら死に行くことは無駄だ・・」と思っていましたが、以前行った知覧の特攻会館での経験や上田の無言館での展示物を見たこと、そしてこの本を読んでみて、当時のあの状況、そしてそれまで主人公達が自分の人生として積み重ねた軍人としての経験や考え方、そして何より「自分の命でこの国を守りことが出来れば・・」
そんな切なる思いを持ったまま特攻で亡くなった人達を思う時、たった一言「無駄な死だった」とはとても言えないもの そう
今は断言出来ます。
多分 これからあの戦争を経験した人から生の声を聞く機会はどんどん減っていくと思います。
だからこそ、このような本を読み考えることは平和な時代に生まれきた我々の責務であるように思うのです。
祖父たちの零戦
です。
これは戦時中 世界に名を馳せた「零戦~零式艦上戦闘機」に乗って戦った進藤三郎氏と鈴木實氏の両名を中心にした多くの戦闘機乗りの方々のドキュメントです。
子供の頃 撃墜王と呼ばれた坂井三郎氏の本を読んで、「カッコイイ」そう感じていた時もありました。
やはり子供だったので戦争の悲惨さより、戦闘機というメカニカルなもの、そしてそれを操縦するパイロットに
憧れがありました。
あとウオーターラインシリーズで戦艦や空母なんかもよく作ってました。
でも年齢を重ね戦争の実態を知るにつけ、憧れ だけでは済まされない部分を見るようになり興味が薄れてきました。がそんな気持ちとは逆に興味をもってきたのは「個人」としてあの戦争に関わった多くの人達の気持ちでした。
そんな中で今回 この本を読んだ訳ですが・・・
ドキュメンタリーですから、涙を抑えられないような物語(ちょっと前に読んだ「永遠の0」のような)とは違いますが
現実に起きていた出来事として、重く受け止めることが多くありました。
開戦当初の圧倒的強さから、徐々に敵に研究され櫛の歯が欠けるようにどんどん戦友達が亡くなっていく・・・
朝一緒に食事したのに、夕食の時にはもういない・・・。
戦争終盤にはアメリカ軍の逆襲のため撤退に次ぐ撤退をしていくなかで、負け犬のようにただ逃げるしかない状況の中から生み出された「新風特別攻撃隊」いわゆる 特攻 ですね・・・・。
以前は「負けると分かっていながら死に行くことは無駄だ・・」と思っていましたが、以前行った知覧の特攻会館での経験や上田の無言館での展示物を見たこと、そしてこの本を読んでみて、当時のあの状況、そしてそれまで主人公達が自分の人生として積み重ねた軍人としての経験や考え方、そして何より「自分の命でこの国を守りことが出来れば・・」
そんな切なる思いを持ったまま特攻で亡くなった人達を思う時、たった一言「無駄な死だった」とはとても言えないもの そう
今は断言出来ます。
多分 これからあの戦争を経験した人から生の声を聞く機会はどんどん減っていくと思います。
だからこそ、このような本を読み考えることは平和な時代に生まれきた我々の責務であるように思うのです。
Posted by GP at 19:08│Comments(0)
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